2011年2月25日金曜日

鶏が先か卵が先か (安藤)

これまでの議論を整理して頂き,ありがとうございました。私が最も大事だと考えているのは,まさに「今後労働者と企業との関係は総じてどうあれば当事者にとっても社会全体にとっても適切か」という問題です。

これまで検討してきた個別契約の明確化に対して,野川さんは「柔軟な対応の障壁となる」ため,現状では活用されないだろうと予想されていますね。そして「優先して取り組むべきは、転職が大きな打撃とならないような労働市場をどう構築するか、労働者の職業能力の普遍化をどう確立するか」とも述べられています。

しかし私は,契約の明確化と外部労働市場の整備とは「鶏と卵のどちらが先か」という議論のようにも思えるが,やはり明確化が先ではないかと考えています。

まず私が契約の明確化を導入しても問題ないだけでなく,実際に使われるだろうと考えている理由を以下に挙げます。

  1. 契約を明確化しても,これは柔軟な対応を妨げるものではありません。契約ベースにするということは,詳細な契約を結ぶことの強制ではないのです。「柔軟な対応」をしたければ明記する範囲を減らして,事後的な交渉と信義則に任せる領域を増やせば良いでしょう。例えば「場合によっては整理解雇が必要になるかもしれませんが,雇用はできる限り守ります。ただし仕事内容の変更や勤務地の変更などは受け入れてもらいます」という,これまでの正規雇用に相当する契約も当然締結可能です。
  2. 私は「使用者の判断によって労働条件や処遇や労働者の地位を変更して何とか解雇の可能性は低下させられる、という労使の思惑が普及している」のは実質的には大企業だけで,中小企業では普及していないと考えています。そして中小では解雇や転職が比較的頻繁に行われているのなら,契約の多様化と明確化により,これまでの保護が弱い無期契約とは異なり,守れる契約にする代わりに守らせることが可能になるのではないかとも考えています。

以上のことに加えて,新規に無期契約を結んだ場合には,これまでと同じく「これは定年までの長期雇用とみなす」が,さらに解雇権濫用法理と整理解雇法理を厳格に適用するとしてはどうでしょうか。これまで大企業と中小企業とでは裁判所が要求する実質的な労働者保護の水準が異なっていたようですが,今後は多様な選択肢を許す代わりに,長期雇用を結んだのなら守るべきという面を強調するのです。それにより,期間の定めのある中期雇用が,中小企業から順に実現していくように思われます。

私は,転職市場が充実してから契約を明確にするというのは現実的ではないと考えています。それは現在のような二極化した雇用形態を維持したままで,外部労働市場の整備を先に行うことが難しいと考えているからです。

よって私からは,(1)大企業と中小企業とを分けて検討する必要がありませんか,という点と(2)仮に外部労働市場の整備を先に行うとしたら,どのようなプロセスが考えられるのでしょうかという二点を野川さんにお尋ねしたいと思います。

本日はここまでにして,整理解雇の四要素に代わる裁判所の判断基準や労働契約が「身分契約」だと認識されているという論点については,別に議論しましょう。

2011年2月19日土曜日

契約による対応の困難さについて (野川)

まず、もう一度我々が何を議論しているのかを確認したいと思います。

発端は、「正規社員は既得権者なのか?」という安藤さんの問題提起でした。安藤さんは、私の理解によれば「正社員は確かに既得権を有しているが、それは十分に合理的な理由のあることであって、それを奪うには原則として意を尽くし た説明と合意形成が必要であり、それもかなわないときは一定の対価の支払いが保証されるべき」という見解を述べられ、私がそれに対して、正社員という法的地位はなく、企業社会の慣行によって、雇用保障も高い処遇も享受できるような「正社員」と不安定雇用と低い処遇に置かれている非正規従業員がいるのであり、パート労働者が正社員の上司になっても有期雇用労働者が正社員より実際上雇用の安定が保証されても、それはまさに契約の自由であることを示しました。そして、現在の「慣行」は、正社員に負わされる過大な責務(雇用保障や一定の高い処遇と引き換えに強大な人事権への屈従を承認し、過酷な長時間労働や遠隔地配転にも応じるなど)を内容として、まさに契約の自由という原則を通じて成り立っていることを指摘したのです。

議論が具体化したのはそこから先で、正社員が一定の雇用保障を享受するのはそれなりの合理的理由があるとした場合、整理解雇が許されるのはどうしてか、という課題を検討すべきであると安藤さんから提起がありました。そこから、整理解雇とは何か、またこれについて適正なルールはどうあるべきか、という議論に移っていきました。

そこで、今回は、当初の我々の問題意識を再確認して、それを踏まえながら当面の問題である整理解雇について、安藤さんの直近のご意見への私の考えを述べたいと思います。

私たちの問題意識は、(もしズレていたら訂正お願いします)「正社員という『事実上の』既得権が正当化される根拠は何か、それは合理的か、また今後労働者と企業との関係は総じてどうあれば当事者にとっても社会全体にとっても適切か」ということではないかと思います。そして今までのところ、企業は企業利益の観点から、長期雇用を保障しつつ十全に労働力を発揮して企業利益に貢献してくれる正社員という地位を維持しているのだ、という共通認識があるように思います。。

この観点からすると、整理解雇とは、主として企業の経営判断によって労働者との労働契約を一方的に解約することを意味するので、企業が正社員に対して長期雇用を保障することで多大な企業利益を得てきている以上、 人員整理が必要な事態であると企業が判断しても、そう簡単に解雇することは約束違反であり、何らかの明確なルールが必要であるということになります。

やっと前回までの議論にたどり着きました、迂遠ですみません。安藤さんは、 「契約にもとづく長期雇用保障は本当に利用されないのか」というタイトルで、私の意見について二つのご指摘をしておられます。

一つは、雇用期間や職種をいろいろ組み合わせた多彩な労働契約のメニューを用意し、その中で長期雇用保障を明記すれば、整理解雇の可能性やその範囲等について予見可能性があるので、契約にもとづく長期雇用保障システムを導入すべきである」という安藤さんの意見を「現実的でない」と批判した私の考えに対する疑問でした。
安藤さんの疑問を私なりに理解しますと、「なぜ現実にそのような多彩な契約が普及しないのか、それは普及を試みることが無駄ということなのか、それともただ実際には普及していないということなのか、もし前者ならば普及の可能性をなお追求すべきではないか」ということだと思います。

私が「現実的でない」と指摘した背後には、企業も労働者も、明確な契約を「柔軟な対応の障壁となる」「契約内容に拘束されるのは得策ではない」と考えているのではないか、という想定があります。
つまり、日本で失業率がかなり低いのが当たり前と認識されていますが(御承知の通り、ドイツでは8%を下回ればまあまあ合格ですが、日本では6%を上回ったら深刻な事態と受け止められるでしょう)、低い失業率の理由の一つとして、労働契約が締結された当初は予定していなかった事態が生じて大幅な事業再編の必要性に直面しても、使用者の判断によって労働条件や処遇や労働者の地位を変更して何とか解雇の可能性は低下させられる、という労使の思惑が普及していることがあるように思うのです。 見方を変えれば、かくまでに労働者は「現在所属している企業からの離脱」に強い恐怖心を抱いているし、使用者も、労働者に「経営上の必要性があっても解雇まではしない」と信じさせてロイヤリティーをいっそう発揮させるほうがコストが安いと考えているのではないでしょうか。その背景には、転職や離職の打撃があまりにも大きすぎるという日本の労働市場の現実があると思います。

実は私も、労働者の交渉力を十分に補強したうえで、個別契約の明確化は必要だと思います。しかし、上記のような状況が変わらない限り、やはり多彩な労働契約による予見可能性の確保は難しいと判断します。そして、優先して取り組むべきは、転職が大きな打撃とならないような労働市場をどう構築するか、労働者の職業能力の普遍化をどう確立するか、といったことではないかと思います。

次に 整理解雇の四要素に代わる裁判所の判断基準としての「解雇後の生活保障と転職費用」や「労働者との話し合い」ですが、確かに、そもそも赤字経営が続いて整理解雇に踏み切るような場合はそのような費用を企業は出そうにも出せないし、話し合いも定式化されてしまうのではないか、というご懸念はその通りだと思います。

ただ、やはり整理解雇を行う当該企業は、企業社会全体での雇用維持という原則を踏まえつつも、「雇用保障の原則がありながら、実際に解雇を実施した当該企業」としての責任は問われざるを得ないというのが、現在の社会通念ではないでしょうか。具体的な費用の額は、転職市場の成熟度によって異なると思いますが、すくなくとも、当該「解雇実施企業」は、一定の個別責任を果たすべきであり、その表象としての生活保障と転職費用のある程度の負担は必要であると思います。

また、 話し合いについては、なぜその労働者の雇用を維持できないのか、雇用を維持するためにどのような努力をしたうえでの判断なのかについての情報公開と説明とを義務付け、実際に説得をどれだけ行ったかは、これまでの判例から、ある程度実質的な判断枠組みが形成されているので、十分に可能ではないかと思いますが、この点についてはもう少し検討してみたいと思います。

最後に、やはり日本の労働契約はまだまだ「身分契約」だと認識されているなあ、とつくづく感じます。この点は、比肩しうべき先進諸国とはかなり異なりますね。整理解雇も「身分を奪うのはいけない」という意識の強さが、これれほどルール形成が 困難な理由の中心の一つとなっているのではないでしょうか。

2011年2月18日金曜日

小休止ですみません

このブログへの投稿がしばらくできず、申し訳ありません。

週明け(2月21日)までにはきちんとした投稿をいたします。ご寛恕ください。

2011年2月10日木曜日

契約に基づく雇用保障制度は本当に利用されないのか (安藤)

まず野川さんが最初に述べている「経済学者と法学者のスタンスの相違」についてですが、私もこれは単に思考プロセスの違いだと理解しています。

経済学者は、抽象的な理論分析から始めて徐々に現実に近づけた上で、実行可能な政策とは何かを検討します。そして実証分析により政策の妥当性を検証しようとするでしょう。一方で法学者は、現実の社会において実行可能な範囲内で最初から検討しているように思われます。

もちろん経済学者が現実を知らなければ、理論的には面白いが、実現が難しい答えを出すかもしれません。また、大胆な発想が出来ない法学者が考えたとしたら、実現可能性は高いものの、現行制度の微修正のようなプランしか提示できないこともあり得るでしょう。しかし経済学者でも法学者でも、結局は優れた研究者ならば、ほぼ同様の結論に至るのではないでしょうか。

さて、雇用契約をより明示的なものにしてはどうかという私の提案に対して、野川さんは「あまり現実的ではない」と評価しています。

野川さんの表現を借りれば「かなり柔軟に雇用期間や職務内容を多様化できるにも関わらず、安藤さんが想定されるような多彩な契約は実現ないし普及していない」ということですが、なぜ普及しないのかについては検討する必要があるのではないでしょうか。

仮に当事者が必要ないと考えていることが理由なら、明示的に契約を結べるように法律を変えても、特に問題は起こらないということを意味します。よって変えなくてもかまいませんが、変えてもかまわないという結論になるでしょう。

一方で、裁判所に事後的に否定される可能性があることが使われていない理由ならば、話は変わってきます。例えば有期雇用労働者の雇止めに対して、裁判所が整理解雇法理の類推適用を行うような現状を見て、当事者たちは、多様な契約を結ぶことが仮に可能であっても、実際には機能しないと考えて避けているのかもしれません。

よって現時点でも可能なのにあまり使われていないということだけで「現実的ではない」と結論付けることには同意できません。

もちろん野川さんの言うように、予見可能性が低い方が望ましいこともあり得るとは思うので、この点はもう少し検討したいと思います。

例えば外国において、実際に多様な契約が締結可能であり、その内容に沿った形で裁判所の判断が行われるにもかかわらず、限定的な雇用形態しか利用されていない例などがあれば私も納得しやすいのです。もしかしたら米国における雇用の実態を知ることなどが、私には必要なのかもしれません。

最後に、10年ほど前の東京地裁の新たな判断基準についてです。まず生活保障や転職費用に関しては、頂いたお返事を読んだ後でも疑問が残ります。

野川さんの「『一企業ではなく企業社会全体で雇用を維持する』という方向」に進むことが望ましいとの見解に対しては、企業に生活保障や転職費用の支払いを義務付けたとしても、例えば経営の失敗により倒産した場合には、労働者はそのような保障を受けられないでしょう。

それならば、企業社会全体ではなく「社会全体で雇用を維持する」と考えて、税金などで負担する方が望ましいようにも思います。この点についてはどのようにお考えでしょうか。

また「十分な話し合いを行って」いたかどうかを重視するという点については、本当に真摯な話し合いをしたかどうかを立証するのが難しいように思います。だからといって予測可能性を高めるために外形的な基準を導入したら、定められたプロセスが粛々と行われるだけになってしまい、労働者は納得しないのではないでしょうか。

以上、野川さんのお返事を楽しみにしています。

2011年2月4日金曜日

整理解雇ルールの基本的考え方と具体的基準 (野川)

整理解雇をめぐる安藤さんからの二つの質問に対する私の回答につき、大変丁寧なご指摘をいただき、恐縮しております。なお、二点目について、安藤さんはいみじくも「紛争解決の手続き論としては納得しました」と記しておられます。ここは経済学者と法学者のスタンスの相違が現れるところかもしれませんので補足します。 

よく、「法学者は目の前にある問題の解決に腐心するが経済学者はその奥にある問題を扱う」というような言い方がされますが、安藤さんと私の、この二点目のご質問に関する対応の相違は、こうした言い方にフィットするような印象を与えるかもしれません。しかし、おそらくそれは誤解で、実際には、法学者は、究極的には裁判所を通して実現される「規範」を対象とするので、問題解決の基準として具体的実効性を中心的な前提とせざるを得ない(もちろん、政策論としての妥当性を考えないというのではありません。優先順位の問題です)のに対して、経済学者は、理論的妥当性をさまざまな政策手法によってどのように実現できるか、という考え方が、どちらかというと優先されるということではないか、と思います。これも、私の認識がズレているのであればご指摘ください。

さて、本題ですが、 安藤さんが構想する「片務的長期雇用保障契約」の具体的内容はほぼ理解できたと思います。雇用の期間と職務内容について、多彩な内容の契約の締結を促進すべきだということになるでしょうか。これによって、整理解雇の要件を、明確で予見可能なものに近づけることが可能になるのではないか、というご意見であると受け止めました。

議論をわかりやすくするために、ここはあえて論争的な書き方をします。

私は、安藤さんのご提案はあまり現実的ではない、と考えます。それは、現状では無理だ、という意味ではなく、どうしても実効性に欠けるのではないか、ということです。

確かに現在の労働契約は、期間については、期間を定めないか(正社員の場合は定年までを見通すことになりますが、パート労働者でも期間を定めない場合が多いと言われています)、3年までの期間を定めるかの二択しかありません。しかし、実際には有期雇用契約自体が非常に内容多彩で(この点の詳細は厚労省に設置された「有期労働契約研究会」の報告書(2010年9月10日)に添付された「平成21年有期労働契約に関する実態調査報告書」(事業所版と個人版とがある)、及び「有期契約労働者の契約・雇用管理に関するヒアリング調査結果 - 企業における有期労働契約の活用現状と政策課題」(JILPT労働政策研究報告書No.126)をご参照ください)、大分類でも、

①高度のスキルを必要とし、責任も高度な「高度技能活用型」②正社員と業務及び責任が同一である「正社員同様職務型」③業務や責任は異なるものの、処遇の水準が同じ「別職務・同水準型」④業務のいかんを問わず責任が正社員に比べて軽い「軽易職務型」に分けられます。たとえばこのうち②や③では、5年、10年といった中期的な期間が想定されていて、実際にそれくらいの勤続期間がみられるようです。そして、この大分類はさらに細かくブレイクダウン可能です。

また、職務内容と勤務場所については現在でも特に規制はなく、自由にこれを限定したり、包括化したりすることができます。実際、最近では職種や勤務地を限定しているとみられる労働契約も珍しくなくなってきました。

問題は、このように制度的に、もしくは実質的に、かなり柔軟に雇用期間や職務内容を多様化できるにも関わらず、安藤さんが想定されるような多彩な契約は実現ないし普及していないということです。ということは、企業も労働者も、少なくとも現時点では、予見可能性は低くても現在一般化しているような茫漠とした労働契約を望んでいると言えるように思われるのです。

その理由は軽々に断言できませんが、一つには、予見可能性を回避した不確定な部分について、それこそ暗黙の了解が労使に成立しているのではないか、ということです。つまり、整理解雇必至のギリギリの場面でも、融通無碍の対応が可能な労働契約であることが、労使の信頼に基づく、微妙できわどい、しかし何とかお互いに納得のいく妥当な解決を導けるのだ、と考える労使が、まだまだマジョリティーなのではないでしょうか。

仮にそうだとすると、労働契約の内容をクリアーにして予見可能性を高める、という手法が現実化するには、そうした労使の認識自体が変わる契機が必要だということになるように思います。労働市場の流動化や、企業の人事管理の個別化のいっそうの進展など、現在はその方向に向かっていると思いますが、それこそ予見可能な将来に、安藤さんの構想するような労働契約の一般化が実現するとは言えないというのが私の見立てです。また、そうした多彩な契約を締結するよう法律や行政指導で誘導する、ということも、労政審の三者構成システムのもとでは実現可能性が低いと言わざるを得ません。これについては、もちろん、安藤さんの構想に対する私の理解不足もあると思いますので、安藤さんからの忌憚のない反論をお願いいたします。

最後に、私が提示した、10年ほど前の東京地裁の新たな判断基準について。確かに、安藤さんご指摘の通り、解雇後の生活保障や転職費用は、基本的には、失業保険(日本では雇用保険の求職者給付が軸となる)が担うべき役割です。しかし、失業保険が実際に十分な機能を果たすためには、転職市場がある程度確立し、労働者の能力に対する客観的評価指標が普及し、かつ職務給的な賃金制度の一定の定着が前提となります。それが実現していない現在、各企業は、自らが経営上の理由で放逐する労働者に対して、円滑な職業転換のための経費の一定部分を負担することで、「一企業ではなく企業社会全体で雇用を維持する」という方向への、「解雇実行企業としての責任」を果たすことになるのではないか、ということです。

また、新たな判断基準についてむしろ私が注目したいのは、経営上の理由により雇用維持を断念せざるを得ないという企業の事情につき、労使が対等に十分な話し合いを行って合意形成を目指すメカニズムを追及していることです。解雇手続きの明確化を重視し、加えて「企業がどれくらい労働者の納得を得る努力を重ねたか」を新たな要件としていることはその表れであるように思います。

今回はこの辺にしておきましょう。またお互いに負担にならないよう、マイペースで議論を進めていければ幸いです。諸外国との比較も折に触れ検討いたしましょう。

2011年2月1日火曜日

整理解雇の判断基準として何が適切なのか (安藤)

前回の野川さんの記事では,最初に私の二つの疑問への回答を頂きました。まず「労使間の本質的不均衡は解雇に制約を課することによってしか、現在でも是正できないと考えるべきか」という疑問に対しては,「当然ながら、労働市場の在り方や雇用慣行が大きく変わっていくなら、それに応じて、労使の不均衡に対応したルールの内容も変わり、必ずしも解雇がターゲットとはならなくなるように思います」というものでした。

これには納得です。一部には手段と目的を混同してしまい,解雇規制そのものを守ることに固執する議論も観察されますが,そもそも解雇を制約することは,手段であって目的ではありません。

雇用労働政策の本来の目的とは,労働者が技能形成や稼得能力を向上させる機会を継続的に得られること,また労働者の生活が安定・向上しうること,そして適切な努力をしている限りにおいては失敗しても再挑戦の機会があることなどでしょう。加えて本人の生まれ持った資質や選択した行動に応じて適切なセーフティネットが機能することや,現在働いている労働者の生活だけでなく,これから社会に出る若者や失業者にも配慮して,社会全体のバランスについて考えることが必要ですね。

例えば,一つの企業で長く働き続けるが待遇が低いままであることよりも,納得できる労働条件で途切れることなく仕事が見つかる安心感があること,また場合によっては職業訓練を経由することで職が見つかるのであれば,後者の方が望ましいことでしょう。これは外部労働市場の整備状況などとも当然関係します。

いずれにせよ,昔のように例えば祖父母の世代が農業をやっていれば,父母の世代も自分たちの世代もやはり農業に従事するような時代ではなく,職業選択が自由になったこと,また産業構造の変化が加速したために,働き始めた頃に従事した仕事が長い労働人生の途中で不要になってしまう可能性が高まったことなどにも対応できる労働政策が今日では求められているのです。

次に,整理解雇を「労働者側にではなく、使用者側に原因がある解雇」と理解することが適切か」という疑問に対する野川さんの回答は「『遠因』を争うことはあまりにも迂遠で合理的ではない」というものでした。これについても紛争解決の手続き論としては納得しました。

さらにいえば整理解雇とは労働者の責任ではなく使用者側の経営判断によるものと決めてしまっても,おそらく企業業績に連動して待遇の変化を受けている労働者については,企業業績悪化に対する当該労働者の責任は既にその待遇変化により負担しているとも考えられるので,正当化可能なのだろうと理解しました。

次に本題の「片務的長期雇用保障契約」についてです。これは野川さんのおっしゃるように,通常の企業において「正社員」と使用者間に成立している労働契約に非常に近いものを意図しています。

どこが違うのかと言いますと,既存の契約形態には,解雇権濫用法理(現在の労働契約法第十六条)と判例による整理解雇法理が付随しています。それらの法理には予見可能性が低いという問題があるため,これらの点については合理化と明確化が必要であること,また労働条件の不利益変更に関してもさらなる明確化を考えているため,「非常に近いもの」としました。

次に「解雇要件を明記した片務的長期雇用保障契約の締結は、具体的にどのように可能でしょうか」という質問を頂きましたが,この点については,まず私が以前(財)総合研究開発機構(NIRA)の報告書に書いた文章を転載した上で説明しましょう(http://www.nira.or.jp/pdf/0901ando.pdf)。

現在の労働ルールで許容されている契約の種類は非常に限られたものである。労働契約の期間については、実質的には、長期契約(例えば新卒の場合は定年までのおよそ30 年契約だが整理解雇の可能性があり、また集団的労働条件や配置転換などは実質的には使用者側が決める契約)と原則 3 年までの期限付き契約の二択となっている。これは労働条件を二極化させる要因となっているものであり、セーフティネットの充実を前提とするなら、契約の類型を多様化すべきである。
それではどのような契約を締結可能とするべきだろうか。労働需要を増やすという観点からは、契約解除の要件を明確化することが必要である。それにより安心して採用することができるようになるからだ。私見では、少なくとも、雇用契約の期間と場所、そして職務内容について当事者の自由意志に基づく契約を可能にすべきであると考えている。
まず期間でいえば、5 年契約や10 年契約を可能にすること、また一年前に告知すれば解除可能な雇用関係なども考えられる。次に場所については、配置転換の可否について契約に明記するだけでなく、仮に転勤ができない場合には事業所の閉鎖と共に雇用契約が解除されるなどの特約も許されるべきである。また職務内容についても、仕事がなくなったことを理由とする契約解除を可能にすること等が考えられる。

ここで述べているのは,整理解雇の要件を,できるだけ明確に契約で決められないかということです。例えば,現在の整理解雇の四要素の内の「解雇対象者の人選は合理的か」という点に関しても,現在雇われている労働者の雇用契約内容に従って解雇対象者が決まるようにするのです。このように明確な条件の下では,労働者が恣意的に解雇される可能性は低いということも,この施策が有益だと考えている理由です。

例えば大阪に本社がある企業が,東京営業所にて勤務地限定特約付きの労働者を片務的長期雇用保障付きで雇用したとしましょう。つまりこの労働者は,企業が東京から撤退しない限りはこれまでの正規雇用と同様の雇用保障を持ちます。ここで上司がこの労働者が気に入らないからといって,東京営業所を閉鎖することは想定しにくいのではないでしょうか。

おそらく整理解雇要件の契約による明確化をすると,これまでの正規雇用と同じだけの雇用保障を得られる人の割合は減るでしょう。しかし一度長期雇用保障を得た場合には,現在のものよりも保護が強いという面もあります。

またこの明確化は,長期雇用の否定ではありません。この点についてもNIRAの報告書で述べたことを再度転載しておきましょう。

繰り返しになるが、この提案は長期雇用を否定するものではない。当事者の合意による長期雇用は多くの場合において社会的にも望ましいものであるからだ。例えば5年契約を2回繰り返した上で、定年までの長期雇用を提示される労働者がいるかもしれないし、有能な労働者に対しては仮に当初の契約期間が5年であっても、1年目に長期雇用契約が提示されるかもしれない。しかしそれは選択肢を絞ることによって外から強制される形で長期雇用を実現するのではなく、あくまで当事者たちが選択した結果としての長期雇用であることが大切であると考える。

おそらく野川さんと私とでは,整理解雇の要件(要素)が現在のままで良いとは考えていないという意味では意見の相違がないのですが,私は契約解除要件の契約による明確化を考えているのに対して,野川さんは「今から10年ほど前に東京地裁が試みていた整理解雇の新しい判断基準」に注目しているという意味で違いがあるようです。

私は,この新しい判断基準についてまだよく理解できていません。例えば失業保険があるのに,その上で「解雇後の一定期間の金銭的サポート」が本当に必要なのでしょうか。これが解雇の金銭解決を意味するのであれば,それを労使合意の下で契約に取り入れることについては問題ないと思いますが,これを契約として強制すべきでしょうか。それは,このような金銭的サポート部分は,雇用期間中の賃金の低下により打ち消されてしまう可能性が高いため,これを望まない人もいるように思えるからです。

というわけで,私は解雇要件を契約として明確化することを考えていたのですが,野川さんは整理解雇を裁判所が認める際の要件を実態に合うように変更することを考えているのですね。この違いを理解した上で,次回以降は整理解雇の要件をどのように定めるのが有効かつ望ましいのかについてさらに考えていきたいと思います。その際にはもちろん比較法的な検討も重要ですね。他国のルールについては・・・これから泥縄で勉強したいと思います。