2011年9月26日月曜日

じっくり議論していきましょう - 野川

安藤さん、拙著をそんなに丁寧に読んでいただいて本当に光栄です。ご指摘の点、私も丁寧に考えてお答えしていきたいと思います。 少しお時間をいただければ幸いです。

野川『新訂労働法』総論第1章「労働法の原理」について (安藤)

予告してから少し期間が空いてしまいましたが,野川忍著『新訂労働法』の勉強を始めます。その目的は,もちろん野川さんと喧嘩をすることではなく(笑),法学者と経済学者の共通理解を増やすことにあります。そのために,仮に私が野川さんの主張や結論に同意している場合でも,あえて批判的な検討を加えていくこともあります。ご承知置きください。

今回は,総論第1章について内容をまとめた上で,感想と疑問点を提示します。

本章では,労働法の背景にある基礎的な考え方が紹介されています。ここが分からないと,おそらくその後の応用問題は理解できないと思われるため,同意できるか否かは置いておいて,まずは野川さんの思考をトレースできるように丁寧に読み進めることにしました。

最初に第1章の概要をまとめておきます。ただしこれはあくまで概要ですので,できれば本文をご覧ください。

【総論第1章の概要】
使用者と労働者の間の雇用関係は,社会的な上下関係として認識されることがあります。しかし本来,雇用とは契約であり,対等・平等という契約の原則が雇用関係にも貫かれています。

ただし,このように雇用契約を一般的な契約と同等に扱うことにより,歴史的には多くの問題が発生しました。なぜでしょうか。それは,労働者側は自分が持つ労働力という商品を貯めておくことができず,交渉が成立しなければ何も得られないために,相手の譲歩を引き出すことが難しく,結果として雇う側と雇われる側に交渉力の格差が存在するからです。交渉力の格差が発生する原因としては,使用者側と労働者側に大きな経済的格差があることや,労働者は生身の自然人なので同時に多くの企業と交渉することが難しいことなども挙げられます。

そこで多くの国では,雇用契約における交渉力の不均衡を是正することを目的として,国家が契約内容に介入すること(例えば最低賃金法)や労働組合の結成を認めることになりました。

このように労使関係の不均衡とその是正を考えることが労働法の基本的な目的ですが,加えて時代の変化や労働者の多様化に応じた様々な施策が考えられてきました。高齢者雇用や男女平等などがその例として挙げられます。

労働法で扱う対象は,労働基準法や労働契約法のように実際に法律として定められているものだけではありません。法律の解釈を示す,法律の隙間を埋める,法文を一定程度補充するといった役割を果たす判例法理に加えて,労働契約,就業規則,労働協約,労使協定なども考察の対象となります。

労働法は,時代の変化を受けて変わりつつあります。究極的には個々の労働者の自立を目指して,法律を拡充することや,労働者協同組合やNPOなど多様化する働き方の整備をすることも必要でしょう。その背景にある考え方は,雇用社会が誰にでも平等に開かれていて(オープン),公正で(フェア),連帯の契機が保障されていなければならない(ソーシャル)という理念です。

【総論第1章の感想】
本章を読んで気になった点は,大きく分けて3つあります。

1,本章では,労使の交渉力が非対称であることが理由で歴史的に問題が発生したこと,そしてその問題を克服するために国家の介入と労働組合の結成が必要であることが説明されています。しかし労使の交渉力がなぜ非対称なのかについて挙げられている3つの説明が良く分かりませんでした。この点は後で別に扱います。

また交渉力の非対称により過去に問題があったとして,交渉力の非対称やそれに伴う問題は現在でも同じく存在するのでしょうか。例えばインターネット等の発達により労働者側が他の企業における待遇等の情報を得やすくなったことから,仮に交渉力の非対称が以前よりも減少しているとしたら,必要な対策の内容は変化することになります。そして国家による介入には弊害もあることを考えると,過去に問題があったから現在も変わらず介入が必要というだけでは正当化の根拠が不足しているように感じました。

なお,交渉力に違いがあることを前提として対策を考えるだけでなく,交渉力の差を縮めることを目的とする施策についても検討することは有益ですね。

2,すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活をおくることを政策目的としたときに,稼得能力の低い労働者や貧困等の問題を雇用関係の中だけで解決することはできません。これから労働市場に参加する若者や失業者,リタイアした高齢者や零細企業の経営者等,現在働いている労働者以外の人に関しても配慮が必要です。

労働問題を考える際に,このように現在雇われている労働者だけに限らずに社会全体への影響を考える視点は,すでに労働法学者と労働経済学者の間で共通のものになっていると言って良いでしょう。

本章では,どうも労働者対使用者という昔ながらの対立の構図が強調されすぎているように感じました。加えて,労使間だけでなく労働者同士の利害対立が近年より重要になっていることにも注意が必要だと思います。

3,本章では「当然である」といった表現が複数回出てきますが,これに違和感を覚えました。最初から野川さんと近い考え方を持っている人にとってはそれで良いのかもしれませんが,異なる意見の人を最初から排除しているように感じられるのです。

例えば「法人・組織と生身の個人が契約について中身を交渉して締結するとなれば,前者が有利に立つのは当然である」とありますが,本当でしょうか。これをすぐには納得できない人のためにも詳細な説明が必要でしょう。

また最後の「理念」についても,オープンは良いのですが,どのような状態がフェアかについては人により考え方が異なりますし,ソーシャルについては連帯を望まない人の存在をどのように考えるかが重要になると思われます。

これらの感想と要望は,おそらくないものねだりなのでしょう。労働法の基礎的な考え方を提示することが目的の本章で詳細な話はできないでしょうし,本書が法科大学院向けの教科書であることも簡潔に記述されている理由かもしれません。いずれにせよ,これから本書を読み進めることで,野川さんの考え方がより明確に見えてくるでしょう。

【同意できない,またはよく分からない点】
本章では「相手の思うままの契約内容を押し付けられる」とか「労働力という商品は,売り惜しみができない」といったような表現がありますが,これらは本当でしょうか。

1,まず「相手の思うままの契約内容を押し付けられる」についてです。

そもそも労使の間で労働契約が結ばれるのは取引の利益があるからです。そして特定の契約に労働者が参加するためには,現時点で選択可能な就職先の中で,他の企業で働くよりも当該企業における労働条件が相対的に良くなければなりません。

このように考えると,仮に交渉力に差があったとしても,労働条件はどこまでも切り下げられるわけではありません。経済学では,交渉の結果としてどのような労働条件になるのかは,双方が持つ代替的な選択肢から得られる満足度と交渉の際の我慢強さによって決まると考えることが一般的です。

例えばAさんがX社で働くとX社の利益が一年あたり800万円増加するのに対して,Y社で働く場合には400万円しか増えないというケースを考えてみましょう。このときAさんがX社で働く方が効率的だと言えます。そして両社がより良い条件を提示することでAさんのことを奪い合った結果,AさんはX社から少なくとも年収400万円を引き出すことができます。このようにAさんがX社と交渉する際には,この人が持つ代替的な機会(ここではY社の提示金額)が大きければ大きいほどより良い待遇を引き出すことが可能になります。

それではAさんがX社で働くことから発生する利益である800万円のうち,Aさんに最低限支払わないといけない400万円を引いた残りの400万円はどちらのものになるのでしょうか。これは交渉のやり方や交渉時の双方の我慢強さなどに影響されますが,資産が多いなどの理由であせって交渉をまとめる必要が無い側,つまり我慢強い側がより多くを得られることになります。おそらく労働者と使用者を比較した場合には後者の方が我慢強いと考えても良いでしょう。しかし極端なケースとして,仮に残りのすべてを使用者側が受け取ると考えたとしても,労働者側が最低賃金相当額しか受け取れないことにはなりません。そのような場合でも少なくとも400万円は得られるのです。

非常に簡略化した交渉過程を用いて説明しましたが,ここで言いたかったことは,「相手に思うままの契約内容を押し付けられる」といった表現を用いてしまうと,これを読んだ人が搾取する使用者と可哀想な労働者といった対立の構図に過度に捕われてしまう可能性があり,それは読者のためにならないということです。

2,続いて「労働力という商品は,売り惜しみすることができない」についてです。

ここではまず労働力は本当に売り惜しみできないのかについて,また使用者側は売り惜しみができるのかについて考えてみましょう。

まず「労働力は,売らないでおけばそのまま消滅するだけである」とありますが,これは一度に一つの企業としか交渉ができないこと,また交渉期間中に短期的な仕事を探すことができないことを暗黙のうちに仮定しています。

しかし求職者側は,交渉期間の間は日雇い労働など別の手段でお金を稼ぐことも可能です。特定の企業との交渉に時間がかかったり,契約が結ばれなかったりしたとしても,それにより直ちに収入が失われるとは限りません。

次に使用者側のことを考えてみましょう。

まず,通常は使用者側が持つ機械設備や原材料費など(これを資本といいます)と労働者の労働力が揃った時にはじめて収益が発生することに注意してください。よって使用者側にとっても求職者と合意できなければ,その人を雇うことができたら得られたはずの収益を手に入れられないことになります。

ここで仮に使用者側が資本を現金で持っているなら,預金しておくことができますね。しかし預金しておくよりも生産活動に使った方が収益は当然大きいはずです。そうでなければ,この使用者はそもそも人を採用しようなどとは考えません。

このように労働者側にとっても使用者側にとっても,契約が成立しなかった場合には自分の持つ労働力や資本を次善の方法で活用することになります。よって契約交渉時に,労働者側だけが一方的に「売り惜しみすることができない」という主張は成り立ちません。

またここでは資本が現金の形で所有されている場合を考えましたが,これが工場や機械などの形で保有されている場合には,他社へ貸し出すことや他の使途に用いることが難しければ,使用者側は契約が成立するまでの間は何も得られない可能性もあるのです。

3,最後に指摘したいのは,労使間の交渉力の格差を理由として国家による労働者の保護や労働組合の役割を正当化することは,そもそも考え方として問題があるのではないかという点です。

本章では,交渉力の非対称の原因として(1)労働力という商品は貯蓄できないこと,(2)使用者側と労働者側に大きな経済的格差があること,(3)労働者は生身の自然人なので同時に多くの企業と交渉することが難しいことなどが挙げられています。これらが理由であるなら,1人の使用者が1人の労働者を雇うような零細企業と大企業とでは,正当化できる労働者保護の内容や程度が変わってくるように思われます。なぜなら零細企業の場合には,(2)については労使の経済的格差は小さく,(3)については同時交渉の難しさについても大企業と比べて労使間の差異が小さいからです。

このとき例えば大企業では労働組合の結成が正当化されるが中小零細企業では正当化の根拠が相対的に弱いといったことにならないでしょうか。

また反対に,仮に同様の仕事をしていたとしても,現実には大企業で働く労働者の方が待遇が良い可能性を考えると,働き方の最低水準を定めるという趣旨からは,逆に零細企業では国家による保護や組合の結成を認めるべきだが大企業では必要性の程度が低いということにはならないでしょうか。

「同意できない,またはよく分からない点」として挙げた3点に関して,1と2については私の主張をどのように評価されるか,また3については労働法による保護の根拠は,大企業と零細企業とで同じであるべきか否かについて考え方を教えて頂ければ有り難いです。

どうぞよろしくお願いします。

2011年9月6日火曜日

野川忍著『新訂労働法』商事法務2010 (安藤)

すっかり間が空いてしまい申し訳ありません。このBlogで次に何を書こうか迷っているうちに時間が経ってしまいました。

さて次回の投稿から少しの間は,野川さんの執筆した『新訂労働法』(商事法務2010)を勉強してみようかと考えています。せっかく著者とのやり取りができる環境なので,まずは分からないところや納得のいかないところを質問したいと思います。また経済学の立場から補完的・代替的な説明が可能である場合には,できるだけ丁寧に紹介します。

まずは総論の第1章を扱います。おそらく初回は今週末に書き込みますので,関心をお持ちの方はぜひ『新訂労働法』をお買い求めください。(←営業協力!)