2011年2月10日木曜日

契約に基づく雇用保障制度は本当に利用されないのか (安藤)

まず野川さんが最初に述べている「経済学者と法学者のスタンスの相違」についてですが、私もこれは単に思考プロセスの違いだと理解しています。

経済学者は、抽象的な理論分析から始めて徐々に現実に近づけた上で、実行可能な政策とは何かを検討します。そして実証分析により政策の妥当性を検証しようとするでしょう。一方で法学者は、現実の社会において実行可能な範囲内で最初から検討しているように思われます。

もちろん経済学者が現実を知らなければ、理論的には面白いが、実現が難しい答えを出すかもしれません。また、大胆な発想が出来ない法学者が考えたとしたら、実現可能性は高いものの、現行制度の微修正のようなプランしか提示できないこともあり得るでしょう。しかし経済学者でも法学者でも、結局は優れた研究者ならば、ほぼ同様の結論に至るのではないでしょうか。

さて、雇用契約をより明示的なものにしてはどうかという私の提案に対して、野川さんは「あまり現実的ではない」と評価しています。

野川さんの表現を借りれば「かなり柔軟に雇用期間や職務内容を多様化できるにも関わらず、安藤さんが想定されるような多彩な契約は実現ないし普及していない」ということですが、なぜ普及しないのかについては検討する必要があるのではないでしょうか。

仮に当事者が必要ないと考えていることが理由なら、明示的に契約を結べるように法律を変えても、特に問題は起こらないということを意味します。よって変えなくてもかまいませんが、変えてもかまわないという結論になるでしょう。

一方で、裁判所に事後的に否定される可能性があることが使われていない理由ならば、話は変わってきます。例えば有期雇用労働者の雇止めに対して、裁判所が整理解雇法理の類推適用を行うような現状を見て、当事者たちは、多様な契約を結ぶことが仮に可能であっても、実際には機能しないと考えて避けているのかもしれません。

よって現時点でも可能なのにあまり使われていないということだけで「現実的ではない」と結論付けることには同意できません。

もちろん野川さんの言うように、予見可能性が低い方が望ましいこともあり得るとは思うので、この点はもう少し検討したいと思います。

例えば外国において、実際に多様な契約が締結可能であり、その内容に沿った形で裁判所の判断が行われるにもかかわらず、限定的な雇用形態しか利用されていない例などがあれば私も納得しやすいのです。もしかしたら米国における雇用の実態を知ることなどが、私には必要なのかもしれません。

最後に、10年ほど前の東京地裁の新たな判断基準についてです。まず生活保障や転職費用に関しては、頂いたお返事を読んだ後でも疑問が残ります。

野川さんの「『一企業ではなく企業社会全体で雇用を維持する』という方向」に進むことが望ましいとの見解に対しては、企業に生活保障や転職費用の支払いを義務付けたとしても、例えば経営の失敗により倒産した場合には、労働者はそのような保障を受けられないでしょう。

それならば、企業社会全体ではなく「社会全体で雇用を維持する」と考えて、税金などで負担する方が望ましいようにも思います。この点についてはどのようにお考えでしょうか。

また「十分な話し合いを行って」いたかどうかを重視するという点については、本当に真摯な話し合いをしたかどうかを立証するのが難しいように思います。だからといって予測可能性を高めるために外形的な基準を導入したら、定められたプロセスが粛々と行われるだけになってしまい、労働者は納得しないのではないでしょうか。

以上、野川さんのお返事を楽しみにしています。

1 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした。
    また遊びにきます。
    ありがとうございます。

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