2011年1月26日水曜日

「正社員」という法的地位はない (野川)

安藤さん、第一球ありがとうございます。なんだか、打ちやすいように配慮していただいたような…

まず、解雇をはじめ、労働契約関係全体に対する法的ルールの在り方を考え直さなければならないという問題意識は共有していると思います。短期雇用を繰り返し、一般に低賃金でキャリア形成の機会が少ないという「非正規労働者」と、長期雇用とキャリア形成の機会を享受できることが普通である「正規労働者」の二分法を改めようという機運は政策の対応にも見えるのですが、どのような方向があるのかについて共通認識がないようですね。 政策にも深く関与しているある労働法学者は「中期雇用」という概念を提示していますが、これもそうした状況における一つの試みだと思います。

さて、 安藤さんの見解のポイントを、「正社員は確かに既得権を有しているが、それは十分に合理的な理由のあることであって、それを奪うには原則として意を尽くした説明と合意形成が必要であり、それもかなわないときは一定の対価の支払いが保証されるべき」というように理解してよろしいでしょうか? そうだとすると、私としては、いわば「脚注」を付するくらいで異論はありません。しかし、まさに「脚注」が大切かもしれないので以下に簡単に記します。

第一に、正社員という法的地位はありません。世間一般には、正社員とは、学卒新規採用で期間の定めのない労働契約により雇用され、企業の中心的なプロモーション(昇進・昇格によりどこまでも出世可能)のラインに乗っている人たちをイメージしているようですが、法令上は、正社員と非正規従業員という区別をすることはないのです。
たとえば、労基法は正社員だろうが有期雇用労働者だろうがパート労働者だろうが、もっと言えば学生のアルバイトにも適用されますし、労組法に至っては雇われていない人でも、一定の要件を満たせば適用されます。したがって、正社員に既得権があるとしたら、それには特別な法的根拠はないのであって、企業社会が作り上げた慣行に過ぎないのです。
ですから、全く正社員というイメージに合わない雇用をされている人が正社員のイメージに合う雇用をされている人より優遇されても一向構わないし、労使で自由に雇用形態を合意してよいのです。たとえば、一日6時間働く人が、一日8時間働く人の上司になったり、3年の有期雇用を繰り返している人が部長になっても問題ない。
要するに、正社員の既得権は、それが法律で直接保護されているものでない限り(繰り返しますが、法律は「正社員」だからという保護の仕方はしておらず、労働者なら対等に保護しています)、労使の合意さえあれば自由に「奪って」よいのです。

第二に、解雇権濫用法理(労契法16条)や整理解雇法理(これは法律には書いておらず、裁判所が判決を積み重ねる中で作られた「判例法理」ですね)は、確かに一般的にイメージされる「正社員」を守っているように見えます。しかし、それも、まさに安藤さんがご指摘の通り、そして私も著書やツイートで指摘しているように、契約によって正社員は長期雇用を享受し、その代り過酷な指揮命令によって過労死の危険まで引き受けて働いているという実態が背景にあります。私の言葉でいえば、「雇用保障(及び相対的高賃金)と強大な人事権への屈従(過酷な長時間労働、辞令一本での家族を引き裂く遠隔地配転、etc)」の取引が行われているので、有期雇用労働者や一部のパート労働者(パート労働者の中には、正社員とほとんど代わらない地位にある人も少なくない)に比べて、雇用の安定や相対的な高賃金が正当化されるのです。したがって、一見正社員の「既得権」と見えるのは十分に合理的な理由があるので、これを法的に奪う措置を施すとすれば、この合理的理由を凌駕するよほどの説得力ある根拠が必要ということになります。(これはもちろん、現在のそのような正社員の立場が望ましいということではありません)

第三に、それでは現在の正社員の「既得権」を法的に奪うことを正当化するような根拠がありうるか、ということになりますが、 そこは安藤さんのご指摘通り、若者の雇用を拡大するために年長者の早期引退を促す(フランスではかなり本格的に取り組まれましたね)とか、企業経営にもう少し柔軟性を持たせるために解雇の金銭解決制度を設ける、といった提案がなされる可能性があります。しかし、そうした対応がなされれば大きな不利益を余儀なくされる人々が生じるのであって、仮にそのような提案が検討される場合には、年長者の職業人生を他で生かせる場の確立や、転職市場の充実・拡大と転職によって労働条件は下がらないという可能性の確立など、非常に難しい対応策が必要となるでしょう。

なお、整理解雇の四要素については、私にも腹案がありますが、また項を改めて議論いたしましょう。

5 件のコメント:

  1. ふじちゃん2011年1月26日 10:08

    >パート労働者の中には、正社員とほとんど代わらない地位にある人も少なくない。
    15年非正規(派遣)で働いていますが、一般職正社員と同じ仕事をしています。それどころか、総合職がするような仕事もしてきました。正社員(一般職はもちろん総合職)と変わらない地位にあるかもしれませんが、賃金は派遣のままです。
    あと、先生は、職種による区別をせず、総合職正社員と一般事務職派遣などを同列に比較しているように思えますが、それでは比較にならないのではないでしょうか。例えば派遣でも、SE,プログラマー、などでは、長時間労働はあたりまえですし、転勤を伴う勤務地の変更も、「勤務地は大阪だがオファーを受けるか否か」みたいな形でおこなわれますし、たいていの場合正社員の場合同様、オファーを断りにくかったりします。実際に、派遣社員で過労死されている方もおられますし。総合職正社員と比較するなら、総合職非正規雇用と比較すべき。あるいは、事務職派遣と比較するなら一般職正社員と比較すべきだと思います。

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  2. 正社員とパートとの賃金格差の一つの要因として、正社員の就業状況に対するハードシップ手当のような面があることを改めて認識しました。
    「同一労働同一賃金」を論じる際に、忘れてはならない視点だと思いました。

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  3. >契約によって正社員は長期雇用を享受し、その代り過酷な指揮命令によって過労死の危険まで引き受けて働いているという実態が背景にあります。
    辞職して転職をする権利は保障されています。非正規雇用であっても生活の為に過酷な労働条件を甘受せざるを得ない点は全く同じです。この点を正規雇用についてだけ強調する必要があるとは思えません。

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  4. コメントありがとうございます。「このBlogについて」のページにあるとおり、一つ一つにお応えすることはできませんが、ご指摘のいくつかの点について一般的に述べますと、まず正社員のみが過酷な労働条件を甘受せざるを得ないわけではないことはその通りです。ただ、正社員が過労死の危険まで引き受けている背景に、それに見合う長期雇用の利点や高い処遇の期待があることは事実です。また、正社員と非正規従業員という分類自体があらかじめ決められたものではないので、正社員にも非正規従業員にもさらに細かな区分を設けて、より正確な比較対象のグループ分けをすることももちろん可能でしょう。しかし、どのような比較対象グループを設定するかということ自体が論点になるので、これについては予備作業がかなり重要になると思います。

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  5. ふじちゃん2011年1月28日 11:10

    コメントのレスありがとうございます
    いわゆるホワイトカラー(総合職)と一般事務職(派遣事務職を含む)の賃金格差は、
    >非正規にはない義務や不自由があるから、
    ではなく別のところにあるように思えます。(直感ですが)外国にも、ホワイトカラーと一般事務職には賃金格差があるようですし。
    私は非正規の総合職という人を現実に見たことがないので、非正規というと事務職やブルーカラーしか想像できないのですが・・・

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