2011年1月29日土曜日

整理解雇に対する法的ルールのあり方 (野川)

今回のテーマは、整理解雇に対する合理的で適切なルールはどうあるべきか、についての序論ということになりますね。

まず、前回の私の記述内容について、安藤さんが指摘してくださった疑問点に簡単にお答えします。第一に、「労使間の本質的不均衡は解雇に制約を課することによってしか、現在でも是正できないと考えるべきか」という点です。

実は、私自身の見解としては、転職市場の十分な整備やキャリア形成と能力評価の仕組みの客観化、労働組合の機能強化、労使における個別労働契約の明確化などいくつかの条件を満たすならば、現在の判例法理や法律の規定を変えずとも、(差別や人権侵害等の場合を除いて)解雇は辞職と同様に扱われるようになると思っています。

現在、労使間の本質的不均衡を理由として解雇に法令上及び判例上加えられている規制は、前々回に指摘したことと関連しますが、「労使間に確立されている信頼関係を破壊するような解雇」に対する是正ルールなのです。現在のように、一度正社員としてある企業に採用され、その企業固有の人事コースに乗せられ、長期雇用システムを適用されることとなった労働者にとって、解雇による打撃は、労働条件の切り下げや福祉厚生の悪化よりもはるかに大きいことが通常なので、特にこの「信頼を裏切る」解雇はその打撃の大きさに応じた厳しい規制が課せられていると言えるでしょう。

したがって、当然ながら、労働市場の在り方や雇用慣行が大きく変わっていくなら、それに応じて、労使の不均衡に対応したルールの内容も変わり、必ずしも解雇がターゲットとはならなくなるように思います。

第二に、整理解雇を「労働者側にではなく、使用者側に原因がある解雇」と理解することが適切か」、という点ですが、 これは法的ルールが「裁判所で争われるケースの処理基準を提供する」という役割を担っていることと関係します。つまり、整理解雇が生じてしまった原因を大もとまでたどれば、確かに労働者側にも原因を見出すことが可能かもしれませんが、今目の前で起こった整理解雇についてその不当性を訴えている労働者の主張を認めるかどうかを決定する折には、「遠因」を争うことはあまりにも迂遠で合理的ではないと考えられるのです。要するに使用者は、「経営上解雇せざるを得ない」ということを解雇理由として述べているわけですから、これを「使用者側に原因のある解雇」と整理して処理基準を検討することにならざるを得ないということです。

安藤さんが述べられている「本題」について。 「片務的長期雇用保障契約」という概念は、私の理解が的外れでなければ、まさに通常の企業において「正社員」と使用者間に成立している労働契約の実質を言い当てていると思います。私はこれを「雇用保障と強大な人事権との取引」と表現していますが、これは良し悪しは別として、特に高度成長期型の労働契約の在り方として、強い合理性を備えていたと認識しています。労働者は特定企業もしくは企業グループや関連企業の中で固有のスキルやキャリアを形成するだけの期間を与えられ、技能の熟練や経験の蓄積によって賃金の上昇も期待できるし、企業はそこから高い生産性や強いロイヤリティーといった果実を享受できるわけですから。

しかし、そのような関係においても、安藤さんのおっしゃるとおり整理解雇を全く認めないということになれば労働者自身が路頭に迷い、キャリア形成も断ち切られることになりかねないので、裁判所は懸命に調整原理を模索して、人員整理の必要性、解雇回避努力、解雇基準の妥当性、適正な解雇手続き、という四つの判断要素を設けて、これらを満たせば解雇は有効であるとしてきたわけです。

これに対して安藤さんは、「新規の片務的長期雇用保障契約につ いては,これまでのように無期雇用と解雇権濫用法理,そして整理解雇法理によって実現するのではなく,解雇要件を明記した片務的長期雇用保障契約を労使が 直接的に締結可能として,これと解雇権濫用法理を組み合わせることで実現するべきだ」 と述べられています。しかし、解雇要件を明記した片務的長期雇用保障契約の締結は、具体的にどのように可能でしょうか。ひな形を作ったとしても、それが普及するような雇用環境にあるでしょうか。まず、ご提案の「実効性」について少し安藤さんの見解を詳しくお聞きしたいと思います。

そのうえで、今回は、整理解雇ルールについての私の考えを簡単に述べて、二人の見解を明確にし、次回以降の議論を深めていきたいと思います。

私は、今から10年ほど前に東京地裁が試みていた整理解雇の新しい判断基準に注目しています。それは、上記の四つの判断要素のうち、人員整理の必要性と解雇回避努力は原則として除き、解雇基準の妥当性と解雇手続きをより強く企業に求めたうえで、新たに「人員整理をしなければならない必要性について十分に労働者に理解を求めること」と「解雇後の一定期間の金銭的サポート」を条件としたものです。

環境変化のスピードが激しく、特に経済的領域では国の垣根が劇的に低くなっている現在、人員整理が必要かどうかといった経営判断に裁判所が立ち入った介入をすべきではないと思いますし、解雇に至る前にできることを可能な限りやりつくした後でなければ解雇できない、というルールは、雇用関係の個別化が進展すればするほど法的ルールとしてはうまく機能しなくなるでしょう。 必要なのは、整理解雇について直接には責任のない労働者の雇用とキャリア形成をサポートすることですから、解雇後の一定期間について円滑な職業転換を支えるための金銭的保障を行わせることが適切だというのが東京地裁の意図だったと思います。

しかし、このような方向が実際に模索されるためには、アメリカのように「解雇されてから転職するまでの期間が短く、転職した先での賃金の方が解雇された会社でもらっていた賃金より高いことも稀ではない」というような外部労働市場の整備がなされることが前提となります。その見通しを立てるための政策を急ぎつつ、上記のような新しいルールを考えていくべきだと思います。

他方で、ドイツ、英国、フランスといった欧州諸国は、経営上の理由による「大量解雇」については、解雇する人数によって手続き規制と内容規制を加えるのが通常です。次回以降、こうした国際的視点も加えて議論を展開していければ、と期待しています。

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